紫禁城

紫禁城 紫禁城はフエの皇城(阮朝王宮)内部の宮殿地域をさす。皇城は宮殿地域の紫禁城が中央にあり、その周囲を取り囲むようにして、中央官庁や宗廟が配置される。建造当初は単に宮城といったが、明命3年(1822)正月に建物を皇帝の色である黄色で塗り、紫禁城と改称した(『大南寔録正編』第2紀、巻之13、聖祖仁皇帝寔録、明命3年正月丁卯条)。 紫禁城は高さ9尺3寸(2m81cm)、厚さ1尺8寸(54cm)の城壁に囲まれた一周306丈12尺(930m)、東西81丈(245m)、南北72丈6尺(220m)の規模である(『大南一統志』巻之1、京師、城池、紫禁城)。京都御所が南北450m、東西240mほどであるから、東西規模ではほぼ同じ、南北規模では二分の一の規模ということになる。紫禁城は概ね黄色で統一されているが(『大南一統志』巻之1、京師、城池、紫禁城)、黄色は中国では中央を表わす色であるとともに、君王の衣服の色であった。 紫禁城には門が7箇所ある。南の中央にある門を大宮門といい、「乾成宮」という扁額を掲げている(『大南一統志』巻之1、京師、城池、紫禁城)。 東側は興慶門・東安門、西側は嘉祥門・西安門、北側は祥鸞門・儀鳳門である。大宮門は現在でこそ太和殿の背後にあるが、嘉隆年間(1802~19)初頭の 段階では大宮門の地には太和殿が建てられており、太和殿の左右には左粛門・右粛門の2門があった。明命14年(1833)に太和殿をやや南に移して左粛 門・右粛門の2門を撤去し、その地に大宮門を建設したのである(『大南一統志』巻之1、京師、城池、紫禁城)。 皇城図・『大南一統志』巻1より紫禁城部分(松本信広編纂『大南一統志第1輯』〈印度支那研究会、1941年3月〉46-47頁より転載。同書はパブリック・ドメインとなっている)

 
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