ホアンキエム湖

ホアンキエム湖 もともとこの湖は紅河の河道が変化してできたもので、15世紀の頃はハンチュオイ通りやロードゥック通りあたりまで延びる細長い入江でした。南端が紅河と繋がっていたため、ここでよく水軍が演習を行い「水軍湖」と呼ばれることもあったようです。ベトナムの歴史上に「ホアンキエム湖」周辺が登場するのは、そのチン氏が現われる後レー(黎)朝からです。というのも昔この辺りは沼や池ばかりの湿地帯で、1010年に都がタンロン(ハノイ)に定まった頃もとても人の住めるような状態ではありませんでした。城は湖よりはるか西の方に造られ、特に湖の東側は15世紀以降も長い間田畑があるばかりで紅河の流れもすぐそこまで迫っていました(オペラハウス辺りが船着場)。後レー朝後期(1533-1789)、チン氏がレー朝の皇帝をないがしろにし実権を握るようになって、状況は変します。皇帝のいる宮城に対抗するかのように湖の西南に王府を築き、慶瑞宮、五龍楼と湖の周りをチン氏のための政務や遊覧の場に変えていきます。  その後、フランス統治時代に多くの池や湿地が埋め立てられ、湖の周囲にちょうど今のような道路が造られました。植民地政府の主要な建物が次々と建てられ、20世紀初めにようやく現在の形に落ち着いたようです。  こうして、ほぼ400年の年月を経て、いつしかホアンキエム湖はハノイの街の中心と見なされるようになったのです。  

 
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